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宇宙の完全なる美と、私という不完全な美

2014年06月24日

宇宙の存在、生命、あるいは自分が今ここにあることは、
完全なる事実で調和の中にあり、
神秘も必然も偶然もひっくるめて、
ただただ奏者のかなでる美しい旋律の中で舞い踊るダンサーたちにすぎない、、、

完全なる美。

そんな、わざわざ完全なる状態をカオス(混乱)にしてしまうのは私の思考。

自然に発する流れにただ身を任せて舞い踊ればいいものを、あらがう。
思考とは、元々美しいものを醜くする装置なのかもしれない。

それは人が思考するという命題を奏者から授けられて以来、
未来永劫つづく、果てしない旅のようにも見える、、、

ああ、僕らはどこから来て、どこに向かおうとしているのだろうか?

完全という答えを知りたい。
宇宙のシステムの核心を知れば奏者と一体になれるのだから!

宇宙の完全さとは考えずに身を任せるだけなのに、
考えて答えを出したくなる。

でも、だ。
これが愉しいんだよ。

この思考(科学、哲学)と完全さにまたがる隙、これをいかに縮め、発見していくかは、
ジャングルの中を踏み歩き、
未踏の地を発見するがごとくワクワクするものだから、
それを愉しむのは人として生まれてきた特権だと思う。

さて、人は集団になると、
人のルールの中で完全さを求めてしまうようになる。
そもそも完全さなど思考では到達できないのに、
誰かが作ったルールに完全さを発掘してしまう。

それは一つの系でしかないのに、全体であるかのように見る。
そしてルールを順守している隣の人と比較したり、
自分はできていないと嘆いたりする。
こうあるべきだ~!と、、、

ハイ、それはイリュージョン、錯覚です!

答えは、そうです、ありのまま。
ありのままの自分であるかどうか。
完全さとは自然に身を任せている状態だから、
いかにありのままの私でいられるかどうかがカギとなる。

そんな簡単なことじゃないでしょ、どうしても思考してしまう!
比較したり、嫉妬したりするのも人なんだから!

その通り。
それも人、ホント素晴らしいと思う。

そこで、ありのままでいられるための提案。
これは僕の経験から言います。

不完全の美。

僕の股関節が機能しなくなり、
身体的に完全から脱落し、もがいていたころに発見したこと。

身体的に完全でなくなると、逆に楽になったことがある。
それは自分が誰とも比較できないオリジナルな存在で、
常識や、~~しなければならないというルールは
何ら到達できる要素がないと知ったから。

例えば気功などで完全なるポーズというものがあり、
そこに到達しないと心身共にたどり着けないよ、というルールがよくある。
その場合、僕の股関節は動かないのだから、どうやったって僕は完全さに近づけない、、、
本当だろうか?

いや、それはあくまでも人が作った産物で、
僕は僕なりの到達の仕方がある。
そう感じた瞬間、比較や競争みたいなものは消えて行った。

そう、
不完全であること。

かなり楽です。
というか、あるでしょ、それぞれ。
平均みたいなものに支配されて隠しているだけでしょ。

さらけ出そう。あなたの不完全さを。
その不完全さが明らかになったとき、その不完全さを愛でるようになったとき、
それはあるがままとなり、不完全こそが美しいとなってくるのです。

でも、そう、不完全なりに磨いていく、という条件のもとで。

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