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デッドとLと事故と老荘思想と・・・

2014年03月17日

モノの見方がドカンと拡張される時がある。

爆発的に。

これまで、コレコレはこうだと認識していたことの枠が崩壊し、
自由なのか無制限なのか何でもアリになる。

枠によって立っていた心地よさが亡くなる分、
何年という単位で不安定さと拡張された認識の心地よさとの間で
立ち位置を得ていくことになる。
それが新たな枠になっていくんだけど、だいたい10年単位で起こる。

20のとき、それはデッドとLだった。
アメリカのカウンタカルチャーのど真ん中の教えは、
僕の中にあった(日本で育ってきた)すべての常識をものの見事に打ち砕いた。
粉砕。
そりゃ、粉々ですよ。ど強烈。塵となり全宇宙に散らばった。

分解された僕は、還元論的に元に戻ることは無かった。

存在の自由
表現の自由

人にどう見られようが、自分が感じたこと、それが一番なんだ。

旅からも帰らなかったし、
あのころにも戻らなかった・・・

30のとき、それは交通事故と老荘思想だった。
股関節、粉々。
これまたど強烈。
痛みって、自分を省みることなんだね。
完全においてけぼりにした身体の逆襲だった。

向き合って向き合って向き合って向き合って。

今ここ
先へ先へと精神的に突っ走っていた僕を痛みが今ここにいることを知らしめた。
「いててて、なるほどね~」

それを補完するように老荘思想に出会った。
老子は清流のような響きがあるけれど、
荘子は僕の中でアナーキーだった。

荘子

一本の曲がりくねったみすぼらしい木。

人々はそんな木を見て
「なんて醜い木なんだろう」
と言う。

しかし荘子は
「これが真っ直ぐの木だとしたらどうなるか?
 きっと木材として有用だと切られてしまう。
 しかし、この木はこうやって曲がりくねっていることで
 生きのびている」
と説く。

こっちから見る目と、あっちから見る目。
一つの事象を多角的に捉えられるかどうか。
立場によって見えてくるものが違ってくる…

一例だけど、荘子はパンチあった。
常識、礼儀、道徳、栄達…
全てが否定されるんだからね。

求めた瞬間、間違いが起こると。

おいおい。

でも、腑に落ちるんだよね。

で、また枠が崩壊して拡張していくんだけど、
そこから立ち位置を探る旅は長かった。

完全に主観、自分を壊す作業だったから、
創造的破壊。

さて、40代に突入。

きてるね。

何に耳を澄ませばいいかは分かっている。
フィールドに立って、最高の授業を受けることになる。

自然という大先生の。

こころして。
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