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僕の心のうち

2013年10月19日

今日は僕の心を観てみよう。

僕の心。

僕は物心ついて旅に出ようと決心してこの方、
ずっと、心と向き合ってきた。
ガンコに社会人にもならず(なれずか)自分の存在を探究してきた。

脚を怪我して以来ようやく身体と向き合い始めた。
そして10数年、今、身体をいかに感じるかが、
僕の存在のありかを示してくれて、
魂を大きく成長させてくれるものだと確信している。

身体を感じること。

しかしながら、
さらなる成長を求めて心と向き合うことも続けている。

結局、理想の人間に成長したいからなんだ。

この信念を、クリシュナムルティは、
信念を持った時点で間違いが起こると言っている。

しかし、僕はグルや師匠を持たないから
言葉で理解はするけども経験で達しないと分からない、
ガンコで成長の遅い魂であることも分かってきた。
だから求める。

ちなみに、僕は無神論者ではないけれど、外に神がいない。
ただ、神は僕の中にいる。
その神は、僕の存在を肯定し、
「あなたがここにあることが全て」と確信させてくれる・・・

オリジナルが強すぎるのかもしれない。

ゆえに素直になることが難しい。
ずっと、自分の価値観を追い求めてきて、
それを自信にしてきたからこそ今があると思ってきた・・・

ところがこの考えは今まさにエッジ(縁、果て)に到達し、
このままだと、追い求めてきた、
到達したい領域に確実に行けないことが分かった。
ちっぽけな価値観にしがみ付くこと、
ここをテコ入れしないといけない。

それは、ハナムスビの運営に直撃している。
ハナムスビがうまくいくためには、
このエッジについて変化させていく必要がある。
それを今、ものすごく実感している。

素直になる。
それは僕という、ちょろい壁を崩すということ。

でも素直になるということはそうそう簡単でない。

それは、僕の髪の毛が百本単位で抜けるほどw、
深く、苦しいものだった。
どうすれば、自分の価値を盾にせず、
ストレートに人と接したり、世の中に表現することができるのか?

僕は僕を創り上げてきたけれど、
その創った僕をいかに脱ぐかが課題になっているという・・・
脱皮、
そうだ、身を守るため創った硬い甲羅は
あるタイミングでちゃんと脱ぐんだぞという、
自然の摂理があるではないか!

ここ半年ほどの心の課題。

言葉で解決する問題ではない。
深く掘り下げて、グイグイ自分に打ち込んで、じーっと待つ。

最近、大きな閃きがあった。
ここ数年の探究においては、とても大きな星の誕生。

”全ては聖なる出来事”

この言葉が降ってきて、出来事、出会い、
家族、仲間、今ある周りの全てのモノ、
僕が関係している大小すべてが、
聖なる出来事なんだと感じ、想いを馳せると、
いつもと違う心持ちになっていた。

心地いい。

無理に、自分を創ろうとすると、
アタマで考えることになり、すぐに忘れたり、
続かなかったりするけれど、
これは、抜けた髪の毛の代償としては、
とても大きなものを得られたのではないかと確信している。

この瞬間、瞬間、その心持でいられるのが何よりの証拠。

素直になれるかどうかは言葉の問題。
少なくとも、聖なる出来事は、
僕の価値で判断するようなちっぽけなモノではないことは確かだ。

今、僕はこれを実践中。

”すべては聖なる出来事”

一つ一つの出来事を丁寧に。

そうすると自ずと湧き出る感情。
それに寄り添い・・・つながる

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