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アニミズムをもう一度

2013年09月10日

しつこく続けてみよう!


アニミズムもそういう意味では違った見え方がある。

まずは、これ読んでくださいませ。
こちら

自然とNatureは似て非なるもの。
これを現代の僕らは「自然」と一まとめにしている。
この記事は、それを知ったうえで、
この言葉と付き合うとさらにオモシロいよね、という〆でした。

僕ら日本人に昔からある、身体に染みついた自然は、
今ここにある、その状態。
後から、都会と離れた森や海などを自然と呼んだ。
今やこちらの方がなじみ深い。

そうなんだ、明治以降、
「言葉」づけされて分かることがたくさん増えた。
逆に言葉で定義づけられることで、
それまで認識されていたものと少し違うんじゃないの?
と、今だから気づくことも増えてきた。

アニミズムもそう。
形態(Nature)として捉えられているように僕は感じる。

「あ、あの石、ご神体だよ。すごいね~」
これをアニミズムとしているのだけど、
その神である石が私と切り離された対象としてあることに
違和感を抱くのです。

あ、まずはアニミズムの説明からでしたね・・・
コチラ

つまり、石や木などに神性を見出して拝むような行為、その宗教観を
西洋の学者がネーミングして、「アニミズム」としたわけだけど、
これも言葉付けのアヤで、
もともと日本にはその行為に名前などなかった訳です。

夕陽がこの日に別れを告げ、ユラユラと海に落ちていく様に、
「あ~ナンマンダ、ナンマンダ~」とつい拝んでしまう心身のハタラキ。

何か心の引っ掛かりがあり、「どうかな~」と逡巡しているときに、
たまたま横を通り過ぎたお婆ちゃんが発した言葉に天啓を得て、
思わず感謝を口ずさむ心身のハタラキ

暴風雨の後、他は倒れたのだけれども一本の木だけが凛としていて、
その姿に思わず手を合わせる心身のハタラキ

現代でいうと、
アスファルトの隙間から力強く成長し、
花を咲かせている名の知れない植物に「頑張ろう」と勇気づけられ、
感謝をする心身のハタラキ

これら、今ここの状態に、
心動かされ、神性を見出し、感謝する行為、
これをアニミズムというのではないかな。

だから、人工的な都会にいようと、森や海にいようと、石であれ、木であれ、
自然の摂理はあり、そこに心動かされ、手を合わせたならば、
それはもともとあった日本人の信仰の仕方で、
常に、今、どこでも、あり得るのです。

だから
心をオープンにして、素直に感じよう。
アニミズムは今、この瞬間にみられること。

ああ、そうだったなと
思い出して、
心動かされたら手を合わせてみよう。

まずは
感じることから!
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