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ついに一段深めにきた。グッとね。それも味なわけで。

2018年12月13日

いよいよ来たか、、

さて、どうしたものか。この先、物語をどう紡いでいくかな?

右膝に腫れと痛みが襲ってきた。
仕事がままならないので病院へ行くと、
「ああ、膝の内側がだいぶすり減っているね、年のわりに早いな、、、」
とレントゲンを見ながら、使い過ぎによる膝靭帯周囲の炎症だと診断された。

しばらく安静にしていれば炎症もおさまるし、生活はできるだろう。

もちろん原因は「動き過ぎ」に尽きる。
伊那谷へ来て、本来の、本性の、真の歓びが動きとなり止まらなかったのだから。
わかってる

もう20年近くも前、左股関節を固定する手術を受ける前に、その代償(痛みをなくすための手術だった)として将来、腰痛、左右の膝痛がくると告げられていた。
だからこそ、この二十年間、日々のメンテナンスと維持するためのトレーニングは欠かさなかった。腰痛はたまにあるものの、程度の問題で、浅い時にストレッチや自己整体をすればそれは消失し、それなりに付き合いが分かってきたところだった。

戸惑った。
それは器質的なものだったからだ。つまり、膝が実際に平均年齢よりも擦り減っているという事実を突き付けられてしまった。

脳裏に、稲作の草刈り、畑の土おこし、薪割り、家のDIYやらが映し出される。
楽しくてしょうがなかったんだよ、身体が動くんだよ。どうしても。
わかってる

それは自分の強欲さの裏返しなんだ。欲求が特急列車がごとく突き抜けてしまう。そこに人との出会い、コトが起こるタイミングがミラクルに重なって、追い風となり、止むことなく、寝落ちするときが止まれの合図となっていく。

そこで神さまにこつんとやられた。

「おいおい、それでいいのか?」

そうなんですよ、わかっているんですよ、、、

脚に関してのトラブルは僕の思考、内省に深く根を張っていく。

それは現状に対する警告であり、自己変容を遂げる時期、チャレンジタイムだということを過去の脚の一件で教わった。見てみぬふりナシ、行き止まりのどん詰まりで、どう霊的に成長するか、ここに妙がある。
わかっている

気づき、受容、変化
三位一体の成長プロセスは僕の確信だ。
ヒトという生のダイナミズムだから自ずと感謝が生まれる。感謝、祈り、、、
僕の場合、脚の肉体的な苦痛から気づきをあたえられた。そしてそこに神を発見した。自分に与えられた生、環境、時代、人間関係、あらゆる事象はその個に与えられた物語りとなっていく。読み解き、受け入れ、より良く変わるというプロセスに純粋な生物の進化、人間的な進化を感じる。

僕は脚の一件で大きく変化した。自分でもそう思う。
ただ、根は深い、、、

これを業として、この方程式に従えば、僕は今世で越えなくてはならないものが多くある。
幼さ、と表現していいのだろうか、子どものマインドのまま、現実社会に着地できないまま、実年齢だけ重ねてきた部分が大きくあり、とても大きくあり、脚の件で大きく変化したけれども、ようやく、ああ社会ってこうなってるんだな、と理解が始まったところ。

実際、ずっと、だから何?だったしね。

真実なんてそんな簡単なものじゃない、ってのがずっとあった。それは否定の目と検証という形で常に僕の頭を支配していたし、精神的な旅と科学的な実際を突き合わせていたし、幸福って、健康って、愛って、平和って、、、
経験して肌で感じて触って嗅いで、またチャレンジして。その漉しに漉した、最後に残ったカスが僕の真実に近い何ものかだと思っているし、真実を分かったとした時点で真実を貶めると信じている。これが僕なりの旅の姿だ。だから終わらない。

傍ら、信じること、信じられることに100%自分を投じてみるのはすごいことだなとも感じている。

低空飛行から発進した今世はどんなに大きな変化でもまだまだ上昇気流に乗るには早く、学びは多いようだ。

さて、僕は自分の王国創造に夢中になっていて、20年も前、脚の手術をするにあたって、担当医が言っていた忠告をタンスの奥底にしまっていた。

王国創造
真実はそこら辺に転がっているものではない、それは創り出すもの。
ここ伊那谷に来て、旅のスタイル、頂きへの歩き方が確立したのはとても良かった。

ここ で以前書いたように精神的な内なる旅と、今ここにある環境という外なる旅との完全なる出会いがエデンの園、天国、ああもう何でもいい!な処、、約束の地、、、ガンダーラ!へ行ける。
あの世ではない、この世で、、、
時代は変わる。あまりある不正や虚像で見えなくなっているけれど、実は誰もが手にできる霊的に公平な時代になっている。
行くかどうか?
その意志だけで切符は簡単に手に入る。

そう、膝だった。
いや、それは膝だけではなかった。

しばらく会社での動きだけに制限して、マジックテープで止めるしっかりとしたサポーターで膝を固定し炎症を抑えることにした。一週間大人しくして、元に戻ってきたようだ、、、

動き始めた。
調子が出てきたから少し、との思いで臼の穴の部分を、グラインダーという機械にチェンソーのよう歯を取り付けてしばらくやっていたときのこと、

バーン!!!

一瞬何がおこったのかビックリするとともに、手に痺れのような激痛が走った。
歯が跳ね返って、手のひらを深くえぐっていたのだ!
流血していた。
激しく、、、

詳細は激しいので書きません。
手のひら、40針

幸い、骨に達してなく、深かったものの神経、腱も大丈夫だったようだ。

二週間前、週末の出来事。
その傷も上手くついてきた。

年末の予定は全てなくなり、仕事も大人しくしている始末、、、

総合的な縫い針数はゴルゴを越えただろうか?

ああ、バカだなと思う。
と同時に教え半端ないとも思う。
そういう生まれなもんでね。

死ぬこと以外はかすり傷。


やりなさい。
ほら、さっさとやりなさい。

ハイ、
わかりました。

さてさて、
手のことはいい。かすり傷だから。
それよりも膝だ。

何を捨てて、何をしていくのか?
稲作はやるのか?仕事が負担すぎるのか?
薪はどうだ?
どこまでが限界で、それがいつ訪れるのか?

伊那谷に来て4年。
とにかく動いた。心躍ったし、
東京で失ったものをどうしたら取り戻せるか、、、
失敗の反動は大きくあった。
自分の甘さに向き合えば、その反動で自分を律した。

そこにさまざまな出会い、ミラクルがポンポンついてきて、とにかく、動けば成った。そんな実際にカタチになっていく様を目の当たりにして、その大波に乗らないでいつ乗るの?なものよ。
家族は平和にあり、いい環境で共に成長し、自分の求めるものを追求できる、、、
だから膝の結果には後悔も何もない。
さあ、どうしていくかな?
問いだけがある。

大胆になり過ぎても、慎重になり過ぎてもいい結果は生まれない。

まあ、最悪膝が壊れたとしても、
魂をきれいに、強くしなやかに養っておけばそれでいい。

それまでに家族に迷惑かけないよう策は練っておかないとね。

溜まった本でも読むかな。


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