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満たされないのは要求するからで、自分に注いでいればそれは足りるのだ

2017年02月08日

自分の人生を生きるしかないんですよ。
それが、唯一のこたえ。

他人や降ってきた運が、
自分の満たされないコップに注いでくれるなんてことは、
よっぽどの星の下で生まれつく以外ありえない。

運は切り拓き、ぶっ飛ばすくらいでないとね。

いくら量子的にあの世があると言われても、
死んで最低三ヶ月くらいしてから帰ってきて
「やっぱり死後の世界はあったよ!」
って証明してくれないと。

確率です。

次があることが確率的に分からないならば、
今、この生を最上のものに創造するしかないでしょ。
自分自身で。
(それが自由にできる時代になったことが何よりもの歓びでないか!)

何を求めるのか?

これは問いで、
多様性があるから様々な答えがあると思うけど、
この問いを自ら発せないと、
幸福も愛も、全てが受け身になってしまう。


職場は多くの学びをもたらしてくれる。

なぜこれだけ紛糾して、
怒り、
疑いあうのか、、、

職場は常に一触即発な空気感が漂い、緊張がある。

じっと観察していると、どうにも満たされていないようだ。
満たされない心は他者への怒りになり、
あるいは買い物依存やドカ食いとなり、
開き直り、
新たなネタを拾って、そして怒る、、、

「なんかおもしろいことね~のかよ」

50代の女史が連呼する。

んんん。
なるほど。

人はみな、自分の人生を彩るコップを持っている。
そのコップがどう満ちていくかによって、
幸せの度数が決まってくるようだ。

二つに分かれる。

受け身で、いつまでもコップに注がれるのを待つか、
自分で注いでいるか。

前者は何か、誰かに委ねていて、座って待っている。

運よく一瞬のすきもなく死ぬまで幸運を得られるのなら満たされるかもしれない。
ところが要求するものが全て手に入ることなどそうない。
それは隙となり、満たされないスイッチが入り、フラストレーションに代わり、
何か代用できる、つまり脳内の快楽物質が出るような行動に走る、、、

食で満たす
買い物で満たす
ギャンブルで満たす

大なり小なり中毒性のあるものにはまり込んでしまう。

外に求めるため、満たされない心を人に投影し、
それは怒りとなり、コンフリクトが起こる。

さらに比較優位も働き、
劣勢なら怒り、優勢なら優越と、どつぼに。

人生が満ちていないと感じるのも当然だ。

後者はどうだろうか?

後者は、求めて行動する。

行動は結果をもたらすので、その結果を省みて、
より良いを目指すから、まずは自分の不出来をただす。
自分の取った道を誰の責任にできようか。

今ある自分は誰のものでもないし、
自ら選びとったものだ。

決してコップが満タンなわけではない。
ただ、満たそうとするために、自ら常に注いでいて、
大なり小なり増えているという充足感があるだけ。

この差は大きい。

他人は他人。
あまりにも、ムカつく誰かに気を取られ過ぎよ。
時間がもったいない。
自分の時間を生きようぜ。

「ったく、昨日の休みムシャクシャしたから、安売りの服屋でバーゲンやってたからたくさん買ってやったわ。だけどまだイライラする!」

月曜日。

週の初めはいつもこんな感じ。

大丈夫か?
と思いつつも、
これも与えられた場、整体師としての力量が試されていると感じる次第。

週五日、一日10時間以上、この時間を無駄にできない。

身体、そして場の滞りを見つけては流す作業がつづく。

最良の学びの場がある。
空気感は最悪だけど、わりと面白い。

さてと。


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