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限界を頭で設定した時点で、頭が言いわけをする。そして、そこに気づきにくい。

2016年12月30日

自分の身体がどこまで動くのか?

今年はそれを知るための年だった。

一年を通してビシバシ鞭打って動かしてみた。
時にはイジメて。

毎朝ストレッチ、呼吸、インナーマッスルの強化、
どこかしんどい部位があれば自己整体。
そう、心がけていたのは、
これだけ動いていれば何か症状が出るのは当たり前、
でもその症状の〝最初のきっかけ”に気づいて素早く対処すればいける、、、

余ほどの時ってのは、
まあ、それだけ早めに気づいていれば深く行ってないところで
何となく「ヤバそうだな~」って気づくから、
その時は〝休め”だ。
早く治る。

毎日ニクロウをこなし、
(前の仕事。10~30キロくらいの製品を持ち歩く工場だったから、
「持って歩く」という基本の動きのトレーニングに最高だった)
合間の時間で、
草刈って、草刈って、草刈ってw、
耕して、種まいて、
大工して、薪割って、ひたすら土木をこなした。

例えば何かを持って歩くならば、
身体の軸を探りつつ、自分の弱い筋肉の部位を意識した動きをする。
無理な姿勢が求められるときは最小限の身体的ロスになるように考えながら、
そう、問うていた、、、

おうおう、この身体、
どこまで動けるんじゃ!

かれこれこの脚と10年以上の付き合い。

無理して動いた時の代償みたいなものに囚われていた。
それもこれも、主治医から動くほどに将来、膝か反対の股関節手術だからと酸っぱく言われてたのが重いボディーブローのように効いていたから。
自分の動きに制限をかけていた。

そう言われてしまえば、制限かけてしまうのも当然だわさ。
でも、その言葉が全体の100%な答えなのかは分からないはずなのに、
2~3年前まで盲目に信じていた。

確かにネットを調べれば、
同じ症状の多くの人が副産物の二次的な症状によって再手術している。
でも、これも情報の取り方だと思うけど、
調子いい人もいて、その人は病院にもいかないから統計から外れていることもあるだろう。

医者は確率で物を言うから、全体でもないし、絶対でもない。

どうなのか?
は自分で自分の身体で知っていくしかない。
唯一無二の自分の身体。
医者よりも自分のことは自分が一番よく知っているはずだ。

丁寧に向き合い、
カラダ全体を感じ、
カラダ全体で限界を知る。

行けるところまで。

今年は7月、あの時だ。
田んぼのヒエが抜いても抜いても抜いた先から生えてくるという、
ある種の永遠性を垣間見たとき針がレッドゾーンに突入した。

あの、身体が鉛のように重くなり、気力だけでエンジン回しているような感覚、、、
要するにここまでは行けるってこっちゃ。
身体が覚えている。

この試みは、自分の動きの幅を知るだけのものでなく、
これを越えたことで、身体が何倍も強くなったように感じられたことが収穫だった。

やればできるじゃな~い!

そして、自分の身体がより分かっていく。
百姓的動作は、さまざまな動きを求められるから都度、身体と向き合う。
多用な動きは、自分の身体の特性をあらゆる角度で照らしてくれるのだ。

自分を簡単に定義づけるでないね~~~。
なんにしろ。

ずっとこれまで言いわけしていた。
動くと将来的に良くないから、という決めつけで。
ところが答えはそうではなかった。

限界は自分で作るもの。
それが当たり前になると、言いわけしていることにも気づかなくなる。
今年はそれが知れた。

とにかく動く。
限界は身体に聴く。
身体に向き合いながら動けば身体は強くなる。

限界を勝手に引いていた、心の深層からくる腰の引けた動きから、
前向きで、骨格全体を大きく使えているような、自信のある動きに大きく変化した。
ここ2~3年の変化が集大成したいい年になった。

さあ、来年。

引き続き、動いていくよ。
Keep on movin'~

本年もこのブログを読んでいただき感謝です。
身体をたっぷり動かして良い年にしていきましょ。

Peace
カズ


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