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ナムミョウホウレンゲキョ~ナムアミダブツ

2016年08月20日

母の死があらゆる関係のブレイクショットになり、
友人、親族関係(主に母方の)は木っ端みじん、
その母を擁護したことで僕ら子供と縁を切った父は母を追うようにあの世へ。

母の49日らへんでイオリという存在が萌芽し、
父の49日でこの世に顔を出した。

両親の死で、いや死だけでなく関係性がぶっ壊れたこと、
その処理を全て僕が担わなければならなかったこと、、、
イオリの誕生はいかに僕を救ったか。

ところが、それでハッピーエンド、ではなかった。
母のお墓の場所を他人のお墓に建ててしまった。
(それまでの経緯はこちら

重く墓石が僕の背中に、十字架のようにのしかかったのだ。

なぜ、こんなことが起こるのだろうか?

仕組まれている、、、
出来過ぎているのだ。
事実は小説より奇なりというけれど、
もう一周して小説になっている。

そもそもこの役目は兄貴が負うべきものだったのに、
なぜ僕だったのだろうか?

このタイミングで産まれてくるイオリという存在は何なのか、、、

運命の時計仕掛けが狂いもなく襲ってくる。

意味がある。

莫大なエネルギーを費やさざるを得ないハプニングに対して、
どう受け取り、どう直観し、
それを次の行動に昇華させようと繋げていくのか、
僕はあらゆる宗教観、スピリチュアルなものの見方、
つまり魂の成長における最重要な価値がここにあると思う。

アゲンストな風。

これはカードだ。
手のうちにそのカードを入れて次の手を考えたときにゲームは進行する。
アゲンストな風はストレスだし、
手のうちに入れるには多大なエネルギーを必要とするから、
見ないふり、というゲームを降りる手もある。

ただ、事実は生きてればこの手のカードを引くことがある、
ということだ。

多くの教えが示唆し、
僕が脚をやったことで得たことは、
このカードはジョーカーで、
捉え方によって、黄金に輝くこともあれば、
座敷牢に閉じ込めて暗黒色に染めることもできる。

その奥深いところに、このゲームの神髄がある。

引いた手がジョーカーで、
その手をいかようにも、
プレーヤーの捉え方で変えられることができるのならば、
持ち手を最上のものにし、ゲームを引き寄せればいい。

マゾ的な打たれ強さが必要になるかもしれない。
キタ!気持ちいい!までいかなくても、
ジョーカーの扱いさえ分かっていれば、
第一歩の受け入れがスムーズになる。

今年七回忌が過ぎ、
イオリが六歳になり、時がたった。

率直に感じていることを書きたい。

イオリから愛を学んだ。

喪失に対する反動もあるのかもしれない。
ただ、無条件に自分の何かを惜しみなく与えることのできる存在、
そのまなざしが愛なんだと感覚として分かったし、
イオリが教えてくれた。

同じ道を両親も通ったのかと思うと、
その逆は同じようにいかないんだなと痛切した。
つねに目の前の存在だし、
初期の教わることの多くが両親からで、バイアスがかかるし、
コミュニティーが広がってくれば教えらてきた正義の比較が始まり、
矛盾を鋭く(僕の場合は特にね)拾ってしまう。
存在が近いだけに常に比較の対象だということだ。

二人の存在の死と、一人の存在の誕生は、
「育てる」
ことを大きく考えさせられた。

僕らの親世代は人類700万年の歴史の中で、
核家族という最小単位の集団を形成して生活した第一世代だったわけで、
右も左も分からぬまま、子どもを育て自立することがせまられていたのは、
とても重い課題だったと思う。

ジジババが近くにいなく、
知恵や、落ち着いた精神を併せ持たなきゃならなかったし、
僕の育った新興住宅地でいえば、
地域の相談できる存在、
なんて簡単に見出すことができなかったっし、
全ての役割を担う(そこまで考えていなかっただろうけど)
ことは不可能だったに違いない。

そもそも、
全人的な役割を担うする、ということが無理なんだ。

これでいい。
できない。
ならば自分も未完成で学んでいる途上にあり、
ちと先に産まれて、ボチボチ知っていることがあるからシェアしよう。
愉しいことあれば教えて。
というスタンスがいい。

僕の「育てる」は、
自立できるまでの養育的なところ以外は、
魂を共鳴させて共に成長していく場創り、時創り、
なんだと理解した。

言っていることとやっていることの矛盾は、
子どももも見ていれば、かみさんも見ているから、
もちろん僕がそうだったように、子どもの成長に深く絡んでくるけれど、
これは個々の問題だから精進するしかないね。

さて、時代背景もあいまって、
僕の両親の死、その炸裂は個々の問題だけでなく、
多くの人にも関係する折重なった部分があるので考えてみたい。

宗教。
死んだらどうするの?

これからの時代とても重要な問題だ。
早めに家族で話しあって合意しておくのが経験上重要かな。

僕の両親はほぼ無宗教と言って差し支えない。
生涯、数回親父がお経を唱えているのを見たが、
思いつきか、何かの反動みたいなもので、
常に心の中にあったわけではない。

これも時代背景が絡んでくる。
戦後、宗教が敬遠されていたことが大きいと思う。
これまでの大家族制では、
嫁に入ったらその家の宗派に改宗するのが常であった。
両親の場合、
宗教にそれほど関心がなく、
不思議だったのだけど、
母親が父親の宗派に改宗することを拒んでいた。

無関心だったくせに改宗せず。

これは宗教的な背景というよりも、
母親が同調するのが嫌だっただけだと思う。

霊的には面白い。

父親は浄土真宗(ナムアミダブツ)
母親は日蓮宗(ナムミョウホウレンゲキョウ)

両親が死んでからこれら宗派を学んだ結果、
ナルホド~と感心するところがある。

ハードコアな日蓮宗とオールオーケーな浄土真宗。
日蓮宗は現生に生の到達を見出すけど、
浄土宗系は死後、極楽浄土に到達するとする。

悪人でも草木でもなんでも「ナムアミダブツ」
の心さえあれば死後、良いところ行けるよ~、という
全てオーケーな(ここら辺はアニミズムの要素があるのかもしれない)浄土系。

そんな誰でも、唱えるだけで良いところ行けるなんてありえない。
「ナムミョウホウレンゲキョウ」を唱えて、
法華経を理解し、実践・精進することで現生をより良いものにしていく日蓮宗。

とくに日蓮宗は当時多くあった宗派の否定が強くあり、
その中でも浄土宗系を酷評した。
対立関係にあった。

つまり、霊的には交わることが難しい関係だったのだと分かった。
お経の核心部分でもそれが端的に表れる。

ナムミョウホウレンゲキョウ
ナムアミダブツ

ナムミョウホウレンゲキョウは最終的に何度もループし、
かつテンポが速い。
その速さにて、ある種トランシーなところに持っていかれるけれど、
ナムアミダブツは低く、テンポはゆっくりで、
沈みゆく夕日に手を合わせるような、
まあまあ、落ち着いていこうぜ~という気持ちになる。

これは
ナムミョウホウレンゲキョウがタイトにする方向で、
ナムアミダブツがルーズにする方向という、
僕の感覚だけど、お経ですら反対方向を向いていると感じさせる。

現生と来生
タイトとルーズ
ナムミョウホウレンゲキョウとナムアミダブツ、、、

双方の喪主を務めた、
ということは双方の檀家になるようなもので、
それならば二つの宗派を僕の中で統一してしまえばいいと考えた。

ナムミョウホウレンゲキョ~ナムアミダブツ

難しいことはいい。
どちらがいいということもない。
僕の立場で、このとんでもないハプニングの意味を深く想った結果、
両親の霊的違いを納めることが大切だと理解した。

むすび。

意味を求めていった先に、
両親のことだけでなく、
僕のこれからのミッションとして、
「むすび」が重要なんだと直観した。

こころとからだ
人と自然
都会と田舎、、、

仕事はたくさんある。

ハナムスビはこうして生まれた。

イオリが産まれてその半年後、
311が起きた。

自分の事から地球環境、
霊的なことまで色々考えさせられた2010年前後の話。


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