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魂が逝って、返って、順調に育ってます

2016年07月23日

先週、伊緒里6歳の誕生日だった。

誕生日が来ると必ず思い出す。
伊緒里は不思議な産まれであったことを。

母親の49日ころ授かり、父親のまさに49日に産まれてきた。
この短期間に両親が冥界入りするなど思いもよらなかった。
そこにポコンと新しい命がもたらされて、
喪失が喜誕(造語です)に逆噴射するという、
不思議な、不思議な出来事だった。

母親が肺がんの転移であの世へ旅立ち、
49日が過ぎ、もろもろの手続きやら後片付けで多忙を極めていたころ、
伊緒里がお腹の中にいることが分かった。

逆算すると49日ころに授かったらしい。
「こういうことってあるんだな」
それはそれは感慨深いものであったものの、
「あの世に旅だったのにもう帰ってくるのか!」
最期における家族、血族の超破壊的な結末をむかえ、
それを見届けて心身ともにぐったりだった僕は、
「もう少しそちらでゆっくりしてなよ」
な気持ちも少なからずあった。

それほど仏教の死と再生について信仰度は高くないものの、
何か不思議な感覚に見舞われた。
大切な人に違いない、、、

母親の死は全てを破壊した。
父親との関係、兄弟関係、親族との関係、、、
ビリヤードのブレイクショットでボールが全部入ってしまうような、
そんな破壊力だった。

肺がんは末期にいたり、脳に転移して、
腫瘍が記憶や、行動、言動あらゆる脳をつかさどる行為に影響を及ぼし、
治療のことや、死後のことなどこれ以上意思疎通が難しいだろうと思われる、
そのぎりぎりで、父親との離婚届けを出した。

もちろん僕と麻依子が付き添いで。
僕には兄がいるが、ほぼ家出状態だったから、
僕が治療、死後のこと、家族のこと、さまざまな処理を託された。

もちろん僕にとっては一番身近な人の死。
初めてのことだし分からないことだから、
この生をとにかく全うしてもらおうと、それだけしか考えていなかった。

「やりたいことやればいいじゃん」

死を迎える人の気持ちは分からない。
残りの人生を悔いなくするには、やりたいようにやればいい。
そう思っていた。

父親との仲はどうにもならなかった。
長年にわたるDV。
後年は浮気なんかしたりして、覆水盆に返らず。
母親的には、なんで私ばかりと
憤懣やるかたない気持ちでいっぱいだったと思う。

いい。いい。
ロックだ、好きなようにギターをかき鳴らしてくれ!

子ども的にはDVは良くないにしても
父親に恨みなどさらさらなかったものの、
この期におよんでは母親サイドに立った。

生き残るのだからいいじゃない。

母親は、不思議だ。
そそくさ別れれば良かったものの、
最後の最後で大砲の引き金を引いた。
ただ積年の恨みをってわけでもなかったような、、、
何か、言葉を待っていたようにも見えたのだが、
夫婦間のこと、誰にもわかるまい。

もともと我を通す人だから、
死に際に好き勝手やったこと、
それを思いきりサポートしたことは、
とてつもない軋轢を生んだ。

家族葬にしてくれ

今後多くの人が選択するであろう家族葬。

しかも母親は誰の侵入も許さなかった。
血のつながった兄弟ですら。
父親は無論、
僕らきょうだいと孫だけの葬式だった。

親族は憤慨し、怒り狂い、
「スミマセン、母親の最後の望みです」
どんなに僕が主役の気持ちを汲もうと収まらない。
友人らも駆けつけ、一目合わせてくれという、
ただただ、それだけのことでも、
絶対やめてという遺言が僕を制止させた。

これは難しかった。
今となれば、主役の概念が間違えていたのかもしれない。
主役は実は死にゆく人だけではなく、
その人にゆかりのある人たちとその関係性にあるのかもしれない。

全てが破壊された。
その非難を僕が受け止めるしかなかった。

病気であることは隣人も何となく気づいていたものの、
他言無用だった母親はそれを貫いていた。
遺体が家に帰ってきたときも、
隣人たちはその気配を十二分に嗅ぎ取っていたに違いない。
深夜、ピンと空気が張り、
隣人が田中家の動向に耳を澄ましていただろうころ、
母親の死体の前で兄弟げんかが勃発した。
怒声がしんと静まり返った街に、人々の耳に響き渡った。

全てが粉々に砕け、飛び散った。

僕らが看取ったものの、
決して幸せな最期とは言えなかった。

父親は僕を中心とした、
母親のやりたいことを強行した兄弟たちに怒りを感じていた。

実際母親の遺した言葉に縛られていたのは確かだ。
もともと柔軟性のない僕に与えられたミッション。
父親への言い分はこうだ。
「生きてるんだからいいじゃん」

中立になんてなれない。
最期の最期で言葉の一つも出なかったんだら仕方あるまい。

子どもにとって母親の存在は違うんだなとも知った。

父親は僕ら兄弟と縁を切るといって、
川崎を後にして、生まれ故郷の佐賀へ戻った。

時間だ。
生きていれば時間が解決してくれる。
今は母親のことがあったからその側に立っていたけれど、
それは時間が解決してくれると思ったから、
特段気にも留めなかった。

そして、お腹に子供を授かったことも分かっていたから、
子どもができればきっかけもあろうと楽観していた。

それは僕の誕生日の次の日のことだった。

佐賀のいとこからの電話だった。

「お父さんが死んだよ」

え?
前日の酔い心地が一気に冷めた瞬間だった。

急きょ佐賀に飛んだ。
これも運命的なことだけど、
臨月の麻依子の助けが必要だったから一緒に行った。

ハートアタック
行きつけのマックで朝、コーヒーを飲んでいたころ、
呼び出しの鐘がけたたましくなった。
心臓めがけて、、、

眠るように死んでいたと、
バイトの女の子が涙ながらに語っていた。
少なからずコミュニケーションを取っていたのだろう、
その子の涙は、父親の人となりを悼んでのものだった。

幸せな死ってなんだろうか?

母親は癌だったから最期を想定して、残りを過ごせたが、
父親は事故のように瞬間的にやってきた。

そして父親の死から49日、
伊緒里が産まれた。

立て続けの死。
全てが破壊し、粉々に砕けた関係性。
どうにもならない悔悟の念。
暗い、暗い宇宙に、太陽が産まれた。
静けさの中から眩いばかりの、、、

ビッグバンだった。

伊緒里には愛するということを教わった。
僕らの心を慰み、将来の希望へと瞬時に変換された。
それは両親が同じように経てきた眼差しだろう。

たくさん学ばせてもらっている。
この生に、心の底から感謝したい。

6歳、よく育ってくれてありがとう!

さて、、、
父親とは縁が切れたまま(一方的にだけど)だ。

誰が悪かったわけでもなく、
ボタンのかけているところが違っただけで、
もとは一つの服なのさ。
何が悪かったわけでもない。
時代背景として、初の核家族というのもあったのかもしれない。
分からないながらも一生懸命育ててくれた、
それは真実だ。

親父へ、そして母親へ。
伊緒里の誕生とともに。

家族を大切にしていくことが、
この大掛かりなドラマの答えだと思っている。

元気ですか?
こっちはすこぶる元気です!

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