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正義という、、、

2015年03月05日

痛ましい事件が起こった、、、

自分も同じ川崎育ちだから、
この事件は他人事と思えず、ずっと追っていた。

命の尊さはもちろん、
友人の正義についても少し考えてみたい。

今感じているのは、
報道の通り、上村君の友人が上村君を助けようとして、
その結果が(先輩たちと加害者の家に抗議しにったことによる)
この事件だとしたら、
友人は今後重い十字架を背負うことになってしまい、
本当にこんな世の中でいいのかと深く考えてしまう。

彼の正義はただしい。
それが担保されないで、
純粋な友情、勇気を出して抗議した行為がすべてイケないことだったんだと
背中に乗せてしまうことが、
本当に良いことなんだろうか?

ここは譲れない一線があると思う。

周囲の大人が、ジャッジして納めないとダメだよ。
シグナルは出てたんだから、
もちろん殺人が未然に防げただろうし、
なによりもその勇気が尊いものだと守ってあげないと。

じゃないと子どもはどんどん擦れていくか
無関心がベストだと思ってしまうよ。

大人がすでにそうなのかもしれないけれど、
その社会のコミュニティーの行く末なんて知れてる。
将来について気にすることの方向性がずれてるのでは?

子どもから大人になりかけの、
中途半端な年齢の者たちは見ているんだ。

大人がどういう対応をしているかを。

成長って、
世の中の矛盾を理解し、
自己の傷つきやすい柔らかな精神の良いところ、悪いところを知りながら、
防御するところ、育てていくところ、捨てていくところ、
右往左往しながら肉付けしていくことだと思う。

全てではないと思うけれど、
こういう子たちに対して大人は鏡なんだ。

「成熟とは曖昧さと共に生きていく能力のことだ」

心理学の泰斗、フロイトはこういったが、
その曖昧さは、成熟した大人が形成する社会、コミュニケーションによってくる。
だから曖昧さという何となくの線引きは大人が担っているのだ。

世界では正義どうしの戦争、殺戮が続いている。
両方の正義。
どちらの陣営にいるかで情報にバイアスがかかるけれど、
少なからず、
こんだけ殺し合っていて両方が主張する正義っていったい何だろう?

こんな疑問がわくことだろう。

これに応えるならば、
ここで言われる正義は形ばかり。
掛け声だ。

自分たちの主義主張が正しい前提で違うものを排除する行為は、
ただの高慢な自己肯定でしかない。
愚かなことよ。

十人十色
二人いれば感性も違う。
同じところもあれば違うところもある。
その違いを押し付けてくるようだったら、その時点で正義はなくなる、、、

子どもの世界にいちいち大人が顔を突っ込む必要はないと思う。
ケンカもあるしいじめもある。
ひたすらストレートに生きている動物のようなものだから、
すべてを否定できないし、
その中で学んでいくこともたくさんある。

ただ、動物的なだけに度を超すことがある。
そんな時は大人の出番だ。

今回の事件では少年法がどうのって話しになっているけれど、
法は事後的であって、
大人どうしの問題解決は法で良いかもしれないけれど、
子どもどうしの問題ならば、
法の前に周りの大人の目、あるいは裁量を利かすことがとても重要だと思う、、、

この正義まで曖昧にしてはいけない。
大人が線引かないと。

どうか、どうか、この友人が自分の行為を責めすぎないようにと、
勝手に想うばかりだ。

自戒を込めて。
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