トップ

スポンサーサイト

--年--月--日

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

このページのトップに戻る

今がサイコウがサイコウ

2017年06月24日

シャッキシャッキで生きている。

途中、急激に止まれを食らって、左股関節を神に献上しての今、、、
あれは1999年、ミレミアムになる師走のできごとだったから、18年半が経つのか、、、その間に両親が天上へ旅立ち、子どもが二人でき伊那谷に、、、

ようやく動きが戻ってきた。

感じる。

キレのある動き。
タフな動きに身体がついてきてる。

将来のために動かさないほうが良い、、、
そういって身体の使いに自ら制限をかけていていた。

一転「おうおう、いけるよ、この身体!!」
リミッターカットできたのが三年ほど前、魔法が一気に解けたようだった。
つくづく身体の動きが心、思考の働きを左右するんだと。
なんて晴れやかなんだ!!!

ちゃんと使えば、どこまでもいける。

動きまくって、ヘトヘトになって、まだまだでしょ~~~
って身体を酷使しつつも、
ストレッチ、インナーマッスルの筋トレを入れて、
より安定した、持続的に動ける身体を造っている。
(じいさまになったとき、いかにライトで持続的な動きができるかはとっても重要)

10年、年二回しているファスティングの効果は計り知れない。
元々あった体重、75Kを64Kに徐々に減らし、
自分の動きに見合った最適な体重を知った。
身体の調子よさを知ると、いつもその状態であることが良いに決まってるから、自ずと食事に気を付ける。食べ過ぎなくなる。
重い身体、気持ち悪い、すぐれない、、、
人生思っているより長くないんだから、なるべく少なくするでしょ。
このスーパーポジティブループに入ればいつでも動きがイイ。

ファスティングのもう一つの大きな効果、身体の感じ方を再発見できるのは、40代にとって、とても重要だ。

取りに行く感覚、これに尽きる。

虫や鳥の鳴き声、遠くの風の音、、、
耳を澄まして聴く

光と影
夕日の空、その遠くを観る

春の匂いを調べる
変化に触れる
出汁の深みにホッと一息。

この感覚を忘れたまま人生の後半に突入するのは何ともったいないことよ!
感覚が受け身になると生がぼやける。

動きがキレてる身体
詩のように感じられる身体

健全な精神は健全な肉体に宿るですね。

人生は一度だけかもしれないから
身体つかってとことん動いて感じて記憶して、、、

今がサイコウがサイコウ!

スポンサーサイト

このページのトップに戻る

ウンコは教えてくれる。

2017年04月14日

人生最長の超~~~ロングなウンコが出た。
これまでの記録を大幅に上回るほどの。

丘越えのUターンしてのどんつきくらい。
行って来て。
ただでさえ丘越えはホームランなのに、
×2
もうね、、、

何よりも、良い形、程よい柔らかさがあったと思う。
何秒という単位だっただろうけど、それは永い、時の彼方だった、、、


いつもなら切れてしまう長さ。
でも止まらない。
蠕動運動(ぜんどううんどう ウンコを押し出す腸の動き)が働き、
腸内で留まっていた(横行結腸くらいまで届いてたんじゃないか!?)ウンコを
腸をウェイヴさせながら前へ送り込み、後ろが続くからまた前へ送り込み、
細かく、規則正しく波打たせ肛門へ作られた長さのまま送り出す。

ん~~~
長い!

一体いつ終わるのだろう~

時の間がどんどん伸びてぼやけてくる。

スルン。

一瞬けだるい感覚がおそい、すぐに全身からホワ~っと抜け、
ふ~~~息を吐く。

全部出し切った~~~!

気持ちいい!!!

興奮するときと同じ内分泌ホルモンが拡散する。
鼻が膨らみ、瞳孔が開く、、、

何度、見ただろうか、
何度、その長さに驚いただろうか!

オイオイオイ~~♪

また、見る。

ヤバいよこれ、ヤバいよこれ。
ニヤついていた。

この時期に、このタイミングで。

いよいよ畑の土木作業が始まり、身体を動かし始めた矢先。
ヒトの身体の発生のもと、全ての臓器の兄貴である腸が応えてくれた。
カモ~ン!

さい先良いよ~。

準備できてる。

ここ二週間、久しぶりに玄米を常食していた。
よく噛んで繊維質をすりつぶす感じ、良いよね。
玄米食は何より滋味な味わいの食べ物が合うから、
それによってさらに食物繊維を多く摂ることになる。

これも良かった。

しばらく心地いい虚脱感を味わえた、とても良いひと時。

ウンコから平和、
間違いないわ~


このページのトップに戻る

Born to dance

2017年03月20日

鼻息が荒くなってきた。

気温が上がり始め、あちこちに春の息が吹き込まれている。
福寿草は黄色い花を開き、フキが顔を出し始めた。

縮こまっていた身体の節々も氷解し、
雪解け水がどっと沸いて川筋ができていくように、
血が走り出した。
神経系、筋肉の働き、気の巡り、、、
身体に流れているものは全て、
春の気配に推し動かされている。

4月中頃から年末まで。
怒涛のダンスが繰り広げられる。
太陽が何物かを育てるのを止めない限りとことん付き合う。向き合う。
それが生産で、生活で、喜びだから。

踊り狂う用意はできてるか?

身体は滞りなく、しなやかでいるか?
心のチリは春一番で吹き飛ばしているか?

音を耳で聴かない。
音に合わせてステップをとらない。

身体の純度を高めて扉を開ける、
手を広げて全てを受け入れる、、、
宇宙の息吹と60兆個の細胞がブルッと共鳴すれば、
それは最高のダンス、パフォーマンスとなる。

身体は生命誕生それ以前の記憶を内蔵している。
状態を整えれば勝手に、とどめなく、キレッキレのムーヴメントがうまれる。
無為自然。
考えない。
それを発動させる、ただそれだけ。

究極の美は、ダンスにある。
神も自然も、すべて身体の動き、所作に顕現する。

準備はいい?
踊ろうぜ。

unnamed.jpg 
上から セラチューブ 青竹ふみ 縄跳び ストレッチポール

これらが僕の身体を創る最高のアイテム。

冬、このオフシーズンに心がけたのは、

・インナーマッスルの強化(主に肩甲骨回り、骨盤底筋群等)
・下腿筋群の強化、バランス(股関節周りの単関節筋)
・全体の柔軟性
・跳躍力、バネ力

とにかくこの生活はタフだから、
スポーツのアスリートが練習、試合前に充分身体をほぐすように、
毎朝、ストレッチポール、セラチューブで身体がいつでも動けるように整える。

自重でスクワット、腕立て伏せ、腹筋を鍛えて一日が始まる。

これはオンシーズンも同じ。

今季、冬のトレーニングとして縄跳びを取り入れた。
座り仕事で、下腿(特に左脚)の血流が悪くなるとの解消、
バネ力、跳躍力をつけることを心掛けた。
ピョンピョン、軽く動ける身体がいい。
肺活量、持続力もつく。

脚の都合、ランニングができないから、
骨盤を安定して水平に保てる縄跳びはとても有効。

気が巡る。

愛しき家族と、最近深くなりつつあるご近所の仲間。
もともとの仲間、、、

この生が、
自身の身体の好調と共に、
周りの人たちの心地いいバイブスによって肯定されている。

それが全てではないだろうか?

踊ろう。

この生を踊りあかそう。

狂え。

人の法則が自然のありかたに勝るわけがない。


このページのトップに戻る

満たされないのは要求するからで、自分に注いでいればそれは足りるのだ

2017年02月08日

自分の人生を生きるしかないんですよ。
それが、唯一のこたえ。

他人や降ってきた運が、
自分の満たされないコップに注いでくれるなんてことは、
よっぽどの星の下で生まれつく以外ありえない。

運は切り拓き、ぶっ飛ばすくらいでないとね。

いくら量子的にあの世があると言われても、
死んで最低三ヶ月くらいしてから帰ってきて
「やっぱり死後の世界はあったよ!」
って証明してくれないと。

確率です。

次があることが確率的に分からないならば、
今、この生を最上のものに創造するしかないでしょ。
自分自身で。
(それが自由にできる時代になったことが何よりもの歓びでないか!)

何を求めるのか?

これは問いで、
多様性があるから様々な答えがあると思うけど、
この問いを自ら発せないと、
幸福も愛も、全てが受け身になってしまう。


職場は多くの学びをもたらしてくれる。

なぜこれだけ紛糾して、
怒り、
疑いあうのか、、、

職場は常に一触即発な空気感が漂い、緊張がある。

じっと観察していると、どうにも満たされていないようだ。
満たされない心は他者への怒りになり、
あるいは買い物依存やドカ食いとなり、
開き直り、
新たなネタを拾って、そして怒る、、、

「なんかおもしろいことね~のかよ」

50代の女史が連呼する。

んんん。
なるほど。

人はみな、自分の人生を彩るコップを持っている。
そのコップがどう満ちていくかによって、
幸せの度数が決まってくるようだ。

二つに分かれる。

受け身で、いつまでもコップに注がれるのを待つか、
自分で注いでいるか。

前者は何か、誰かに委ねていて、座って待っている。

運よく一瞬のすきもなく死ぬまで幸運を得られるのなら満たされるかもしれない。
ところが要求するものが全て手に入ることなどそうない。
それは隙となり、満たされないスイッチが入り、フラストレーションに代わり、
何か代用できる、つまり脳内の快楽物質が出るような行動に走る、、、

食で満たす
買い物で満たす
ギャンブルで満たす

大なり小なり中毒性のあるものにはまり込んでしまう。

外に求めるため、満たされない心を人に投影し、
それは怒りとなり、コンフリクトが起こる。

さらに比較優位も働き、
劣勢なら怒り、優勢なら優越と、どつぼに。

人生が満ちていないと感じるのも当然だ。

後者はどうだろうか?

後者は、求めて行動する。

行動は結果をもたらすので、その結果を省みて、
より良いを目指すから、まずは自分の不出来をただす。
自分の取った道を誰の責任にできようか。

今ある自分は誰のものでもないし、
自ら選びとったものだ。

決してコップが満タンなわけではない。
ただ、満たそうとするために、自ら常に注いでいて、
大なり小なり増えているという充足感があるだけ。

この差は大きい。

他人は他人。
あまりにも、ムカつく誰かに気を取られ過ぎよ。
時間がもったいない。
自分の時間を生きようぜ。

「ったく、昨日の休みムシャクシャしたから、安売りの服屋でバーゲンやってたからたくさん買ってやったわ。だけどまだイライラする!」

月曜日。

週の初めはいつもこんな感じ。

大丈夫か?
と思いつつも、
これも与えられた場、整体師としての力量が試されていると感じる次第。

週五日、一日10時間以上、この時間を無駄にできない。

身体、そして場の滞りを見つけては流す作業がつづく。

最良の学びの場がある。
空気感は最悪だけど、わりと面白い。

さてと。


このページのトップに戻る

限界を頭で設定した時点で、頭が言いわけをする。そして、そこに気づきにくい。

2016年12月30日

自分の身体がどこまで動くのか?

今年はそれを知るための年だった。

一年を通してビシバシ鞭打って動かしてみた。
時にはイジメて。

毎朝ストレッチ、呼吸、インナーマッスルの強化、
どこかしんどい部位があれば自己整体。
そう、心がけていたのは、
これだけ動いていれば何か症状が出るのは当たり前、
でもその症状の〝最初のきっかけ”に気づいて素早く対処すればいける、、、

余ほどの時ってのは、
まあ、それだけ早めに気づいていれば深く行ってないところで
何となく「ヤバそうだな~」って気づくから、
その時は〝休め”だ。
早く治る。

毎日ニクロウをこなし、
(前の仕事。10~30キロくらいの製品を持ち歩く工場だったから、
「持って歩く」という基本の動きのトレーニングに最高だった)
合間の時間で、
草刈って、草刈って、草刈ってw、
耕して、種まいて、
大工して、薪割って、ひたすら土木をこなした。

例えば何かを持って歩くならば、
身体の軸を探りつつ、自分の弱い筋肉の部位を意識した動きをする。
無理な姿勢が求められるときは最小限の身体的ロスになるように考えながら、
そう、問うていた、、、

おうおう、この身体、
どこまで動けるんじゃ!

かれこれこの脚と10年以上の付き合い。

無理して動いた時の代償みたいなものに囚われていた。
それもこれも、主治医から動くほどに将来、膝か反対の股関節手術だからと酸っぱく言われてたのが重いボディーブローのように効いていたから。
自分の動きに制限をかけていた。

そう言われてしまえば、制限かけてしまうのも当然だわさ。
でも、その言葉が全体の100%な答えなのかは分からないはずなのに、
2~3年前まで盲目に信じていた。

確かにネットを調べれば、
同じ症状の多くの人が副産物の二次的な症状によって再手術している。
でも、これも情報の取り方だと思うけど、
調子いい人もいて、その人は病院にもいかないから統計から外れていることもあるだろう。

医者は確率で物を言うから、全体でもないし、絶対でもない。

どうなのか?
は自分で自分の身体で知っていくしかない。
唯一無二の自分の身体。
医者よりも自分のことは自分が一番よく知っているはずだ。

丁寧に向き合い、
カラダ全体を感じ、
カラダ全体で限界を知る。

行けるところまで。

今年は7月、あの時だ。
田んぼのヒエが抜いても抜いても抜いた先から生えてくるという、
ある種の永遠性を垣間見たとき針がレッドゾーンに突入した。

あの、身体が鉛のように重くなり、気力だけでエンジン回しているような感覚、、、
要するにここまでは行けるってこっちゃ。
身体が覚えている。

この試みは、自分の動きの幅を知るだけのものでなく、
これを越えたことで、身体が何倍も強くなったように感じられたことが収穫だった。

やればできるじゃな~い!

そして、自分の身体がより分かっていく。
百姓的動作は、さまざまな動きを求められるから都度、身体と向き合う。
多用な動きは、自分の身体の特性をあらゆる角度で照らしてくれるのだ。

自分を簡単に定義づけるでないね~~~。
なんにしろ。

ずっとこれまで言いわけしていた。
動くと将来的に良くないから、という決めつけで。
ところが答えはそうではなかった。

限界は自分で作るもの。
それが当たり前になると、言いわけしていることにも気づかなくなる。
今年はそれが知れた。

とにかく動く。
限界は身体に聴く。
身体に向き合いながら動けば身体は強くなる。

限界を勝手に引いていた、心の深層からくる腰の引けた動きから、
前向きで、骨格全体を大きく使えているような、自信のある動きに大きく変化した。
ここ2~3年の変化が集大成したいい年になった。

さあ、来年。

引き続き、動いていくよ。
Keep on movin'~

本年もこのブログを読んでいただき感謝です。
身体をたっぷり動かして良い年にしていきましょ。

Peace
カズ


このページのトップに戻る

  1. トップページに戻る
  2. 次のページへ

プロフィール

kazooさん

Author:kazooさん
整体師 健康管理士

一人宗教家
勝手に思想家・哲学者
生命探検家

老人になったら最高にオモロイ人になります。

最新記事

カテゴリ

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。